※この記事は、新型コロナウイルス感染の心配がなかった頃、ルルドに宿をとり、蝋燭行列(La Procession Mariale)を見学して、その後のミサに参加したときのお話しで、前回記事のつづきです。
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聖母マリアの像を先頭に、蝋燭を持った大勢の人たちが列をなし、サンクチュアリ内を歩く。
静かに、ゆっくりと・・・。
私は、少し高くなっている カテドラルのテラスから、行列を眺めていた。
冒頭写真の眺めが それだ。
徐々に陽が暮れてゆき、行列は 金色の粒を纏った 光の帯となってゆく。
行列の側から、私たちがいるカテドラルの方を眺めても、きっと美しいだろう。
私たちの背後に陽が沈み、まさに今、夕焼けから夕闇へと 空がドラマチックに移ろいでいる。
(※こんな感じ↓)
隣で同じように テラスの上から行列を眺めていた女性が、私に声をかけてきた。
「火をどうぞ」(たぶん)英語だった。
「Thank you」私は 彼女が差し出してくれた蝋燭の火に 自分の蝋燭を近づけ、火をもらった。
そして、反対隣りで行列を眺めていたカップルに、自分の蝋燭を差し出した。
何と言ってよいのかわからなかったので、無言で。でも顔の表情で言葉を作って。
「Merci」そう言って 火を受け取った彼らも、すぐまた隣の人へと 火を繋いだ。
行列のあと、そのままミサが始まる
人々がカテドラル前の広場に集まり行列が終わると、そのままミサが始まる。
蝋燭行列の謂われや、ミサの中で行われる所作、語られる言葉の意味は、私にはよくわからない。
それでも、とにかくそこにいて、耳を傾けたり、動きを真似ていると、厳粛で平和~な気分になってくる。
その平和~な気分も、自分の中の平和というより、自分の外の平和というか、全体の平和というか・・・、うまく言えないのだけれど、広く大きな、大きいけれど決して強引ではない、そんな「力」を感じる。
例えば・・・火は、大きな炎となれば威圧感を持つけれど、その火を小さいまま皆に行きわたらせれば、エネルギーとしての総量が同じだとしても、大きな炎に比べ、美しく感じたり、恐怖心が湧かなかったり、「熱い」ではなく「温かい」だったり、なにか そんな感じ、かな。。。
ミサに参加しながら、時折、周囲を見渡すなどして、客観的にその全体を感じてみる。
例えて言えば、コンサート会場で、出演者に向けていた目線を一旦逸らせ、観客席を見渡してみるような、それに似た感覚。
多くの人の思いが、小さな蝋燭の火となって、ここに集結し無数に煌く様子は、筆舌しがたい。
ミサは、周囲にいる 初めて会った 見知らぬ人たちと 握手をし合って 終わる。
私も 近くにいた人たち(アフリカからの方が多かったなぁ)と握手をしたり、ビズ(bise)をしたりし、「おやすみ」とか「よい旅を続けてね」など、簡単な言葉を交わしながら、人々の流れに乗って サンクチュアリをあとにした。